2020.10.10
連載伊東浩の「シベリア漫遊記」
真冬のシベリアに行こう その1 玄関都市イルクーツクのご紹介
イルクーツク中央駅 荘厳な作りです。
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イルクーツクはロシア・東シベリアの中心都市で、郊外にはあの有名なバイカル湖を抱えています。日本からのシベリア観光の多くは、イルクーツクを拠点に回っていきます。
シベリアの旅行に欠かせないイルクーツクの街は、「シベリアのパリ」とも呼ばれ、美しい街並みが自慢の都市です。では市街地を中心にご紹介していきましょう。
街中を走るトラム。やはり欧州的街並みには、路面電車が似合いますね。縦横に交差する路面電車網のおかげで、市内観光が満喫できます。
整然とした沿道に佇む、木造の家 かなり古い種物がきちんと整備され、今でも活用されています。
市内を流れるアンガラ川。バイカル湖から流れ出る唯一の河で、西方でエニセイ川に合流し、北極海に抜けます。豊富な水量により真冬でも凍りません。パリでいうとセーヌ川に当りますね。
カールマルクス通りにあるレトロな造りの建物。冬の青空とよく映えます。
イルクーツクは17世紀に毛皮の集積地として、発展してきました。そして毛皮の販売を通して、アジア各地を結ぶ交易の街と栄えてきた歴史があります。そのため極寒の地にも拘わらず、多くの人の交流もありました。1898年にはシベリア鉄道が、欧州側からこのイルクーツク迄開通しています。
古くは1700年代に日本から使者がロシアに赴き、そのうちこの伝兵衛はロシアに帰化しイルクーツクで日本語教官として、活躍しました。廻船問屋の商人であった、大黒屋光太夫もこの地の関係が深く、下記のような碑が残っています。
イルクーツクの散歩マップの看板に光太夫の記述があります。
大黒屋光太夫がイルクーツクで活躍したと称される碑。
上記石盤部分の拡大。大黒屋光太夫の出身地 鈴鹿市との友好都市関係を示した碑。 日本語表記があります
上記のように、イルクーツクは、明治以前から日本人との交流もあり、ロシアの都市の中では日本人とのかかわりが最も濃い街といえます。
そして戦後は金沢市と姉妹都市の提携を行い、金沢ゆかりのモニュメントも散見します
「金沢通り」と名付けられたストリートがあります。
琴柱灯篭のモニュメント
ホテルでの朝ご飯 冬の朝の寒中散歩の後は食も進みます。
1957年に日ソ協会の支部が石川県に作られて、その役10年後1967年にイルクーツク市と金沢市が姉妹都市の提携をしたことに遡ります。以後イルクーツク市内には「金沢通り」という名の街並みができ、金沢の象徴、兼六園の「琴柱灯篭」のモニュメントもあります。
イルクーツクー日本の直行便は定期的にはありませんが、成田空港よりウラジオストク経由で約5時間で到着します。そして冬のイルクーツクは外も歩けないほど寒いかと思っていました。確かに朝方の冷え込みは、想像通り結構寒いですが、陽が出てくると、暖かさを感じます。 ウォーキングによる運動効果もあって、朝食前の1時間ぼどの散歩はお勧めです。
さて、イルクーツクの街歩きはまだまだお伝えしたい部分はたくさんあるのですが、残り部分はまたの機会にして 次回は凍りついたバイカル湖を中心にお話をしていきましょう。 乞うご期待!
撮影スポット情報
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写真家情報
伊東 浩詳細
得意分野 | 風景 | 拠点 | -- | 所属団体 | 日本写真家協会 |
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分類 | プロカメラマン |
東京都小金井市在住
公益社団法人 日本写真家協会 JPS 正会員
一般社団法人 日本旅行写真家協会(JTPA) 正会員
大手カメラメーカー退職後、写真家に転身。季節や時代で変化する、一期一会の街並みを撮り歩く。また地元自治体で「大人の遠足撮影会」を実施し、初心者から上級者まで受講者多数。